掛川・日坂東山は東海道五十三次の宿場町であったことから、古くから交通が主な産業として確立していました。しかし明治の大変革がこの産業構造を一変させます。街道筋の交通に関わる多くの人々が、農業など新たな生業に転じることになったのです。大塚製茶の創業者である大塚真平もそのひとりでした。
明治四年、大井川の「徒渉制」が廃止され「渡舟制」になり、それまで川渡しに従事していた川越人夫たちが職を失いました。川越人夫たちは、掛川藩から御用林の払い下げを受け、その地を開墾して農業を始めます。この時、御林管林の約三百七十四町を開拓した20家族ほどのグループの中心に大塚真平がいました。積極的な開拓によって、現在のお茶の名産地しての礎を築いたのです。
▲ 創業者 大塚真平の生家
戦前の日坂村の風景
昭和30年代お茶の集荷作業
昭和30年代茶摘みの女性たち
昭和30年代茶摘みの女性たち
お茶師栗田忠平氏(右)
当時の拝見場
昭和30年代お茶の袋詰め作業
昭和43年頃の手持ちの茶摘み機
茶摘み機は二人持ちから自走式へ
婦人会などでお茶の入れ方教室
平成4年農林水産大臣賞初受賞
掛川献上茶ご謹製記念
1978年オレゴン州ユージン市と姉妹都市締結に茶業界代表として渡米
小学生の茶摘み体験
平成19年静岡県知事賞受賞
スウェーデンの茶商とのお茶テイスティング
スウェーデングランドホテル支配人とティーセレモニー
オランダのお茶バイヤーとも交流・出荷しています